魔窟を歩く侍の唄
始発電車が動く少し前の時間、まだ空は暗闇におおわれている都会のど真ん中に、わたしは突如、放り出された。
普段のわたしなら、その時間はどっぷり夢の中。
わたしは睡眠が大好きで、寝るのも早い。だいたい睡魔が襲ってくる22時頃には、強制的にシャットダウン。全ての家事が、例え中途半端だろうが、22時にはもう目が開けていられない。
「まだ寝ちゃダメ。わたしの仕事は終わっていない」と、閉じゆく意識の中で、わずかな良心がわたしにささやく。
ここで言う良心とは、母親として、妻としての役割を全うしたいと思う心だ。
だがここから先の展開は言わずもがな…
“わずか”と言う言葉を使って、事前に先手を打っておいたが、わたしの良心なんて目で見えないくらいのちっこいサイズだ。
なので「わたしがやり残した家事は、あなたが必ずやってくれるだろう」という怠惰に簡単にすり替わる。
気づいたら朝の7時。
アラームが鳴り響き、家族5人の誰よりも遅く起きると、やっぱり昨日のやり残した家事はきちんと片付いてる。
こうした積み重ねで、すっかりものぐさになったわたしは、「あなた」の優しさに甘えている。
いや待て、わたしの良心はやはり良心のまま存在している。
よく「無念じゃ」と最期の言葉を言い残し、仰々しく大げさに、腹を刀で切られて死んでいく侍。そいつが中途半端にやり残した事を、わたしに代わって「あなた」が担ってくれているという美談。
どちらにしても「あなた」にとっては、堪ったもんじゃないだろう。
話が脱線してしまった。
とにかく普段のわたしは、夜は5人家族の誰よりも早く寝て、朝もギリギリまで、すやすやと寝ているのだ。
ところがこの日のわたしは、とんでもない時間のそれも都会のど真ん中に、一人ポツンと立っていた。地理も分からず、独特な雰囲気を醸し出す、始発前の時間。
これから、その時のわたしの体験を書こう。
時をさらに巻き戻す事、深夜25時。
上の階から、全く場の雰囲気にそぐわない派手な曲が、天井からわずかに漏れる店に、わたしはある方のトークライブを聞きに来た。
さっきまで、クラブにも遊びに行っていたのだけど、どちらにも共通するのが、超絶技巧なサンプリング&リミックス。
様々な事柄を抜粋して、さらにそれを組み合わせ、新しい文脈に作りあげていく。
残念だけど、凡人には話の半分理解できない。
「むっ無念じゃ。」
ただそんなわたしでも、トークは非常に楽しくて、チャラい音楽が天井から漏れ出る部屋で、匠の技に触れていた。
なんだ、この対極な感じ。
聞くところによれば、上の階はホストクラブらしい。
というか、気づけばわたしのいた店の界隈は、ホストクラブだらけだ。
周りの全ての壁を透明にしたら、わたしは今どうやらイケメンに取り囲まれているようだ。
イケメンパラダイス♡
…全く興味がない。
目の前には大ファンのあの人が、手の届く距離で喋っている。
イケメンに囲まれていようが、そのイケメンの好みの音が漏れ出ていようが、どうでもいい。
ただ、これだけ興味のないものに囲まれながら、大いに興味ある人を目の前にするシチュエーションは、なかなか面白い。
なんなんだ、この対極な感じ。
あれ?デジャヴだな。
思わずニヤつく。
そんないろんな意味で、ニンマリした顔で、数時間を過ごし、イベントは滞りなく終了。
わたしは突如、外へと放り出された。
その途端、緩んだ口角は一気にキュッと緊張し、薄暗い闇の中、恐る恐る歩き始める。
始発電車が走り出す少し前のこの時間、そこにいる人間とこの街の様子は異常だ。
尋常じゃない。
みなの魂はどこに行ってしまったのか。まるでゾンビじゃないか?
明らかに目つきがおかしい人、わけのわからないことを叫んでる人、道路の真ん中で寝っ転がってる人、スカートが腰までまくり上がった状態で座り込んでる女性。
都会のなんとも品のないネオンの中、酒を飲みすぎた人の叫び声や嘔吐している姿、車がノンブレーキでビルに突っ込んだような大きな衝突音、カップルがすごい剣幕でお互いをディスりあう罵声、キャッチのひつこい誘い文句。
ゾンビ達が放った大量のゴミが街を覆い尽くし、時々、すえたひどい臭いもする。
まるで、ここは魔窟。
ゾンビ達のワンダーランド。
小さい頃よく言われた、「誰も見ていないと思っていても、お天道様はちゃんと見ているから悪いことをしちゃだめだよ。」
ゾンビのように見える人たちの脳には、この言葉はどうやら逆説にインプットされているようだ。
つまり、お天道様不在のこの時間は、何をしもいいのだ。
まさに無法地帯、好き放題し放題だ。
正体をなくした人のそばには、他人らしき人が怪しくピタリとくっついている。
もしかしたら、優しく介抱してるだけかもしれないが、わたしにはそれぞれの獲物を狙うハンターにしか見えない。
ビービービー。
コーション、コーション。
危険だと、わたしの頭の中でアラート音が鳴り響く。
わたしは、この魔窟から無事に生還する方法を、すぐさま2つ実行した。
まずは携帯マップを取り出す。ただなぜか、怪しげな雰囲気の方へ案内する。さらに薄暗い道へ道へとわたしを誘い出す。この街のGPSは完全に犯されている。
次に、女性二人組みの後ろ姿をキャプチャーし、追いかける。追い越したら、またキャプチャーしそれを繰り返す。
女性ならきっと危ない道は通らないだろうという予想から、誰でも思いつきそうなナイスアイデアは、はっきり言ってマップより優秀だ。
『女性二人組数珠つなぎ』を使いこなし、上手くサバイブしていた時、道に血痕がちっているのを見つけてしまう。
し、し、し、死ぃーーー?
もう嫌ぁぁーーー。
無念の死を遂げる侍のように、わたしはまだ野たれ死にたくない。
「無念じゃ。」なんて呑気な冗談を、言ってる余裕もない。
一体、この街はどうなっているんだ?
ダンジョンを彷徨うゾンビ達。
道路に散乱している色んなものを踏まないよう慎重に、だけど足速に通り進める。
パッカー車がそこら中のゴミを片付けている。パッカー車の通った後は、綺麗さっぱりだ。
ゾンビさん、あなたの放った大量のゴミは、大量の税金で処理されているようですよ。
×エブリデイ。
知ったら後悔して辞めるだろう、という淡い希望から、一応お伝えしておきます。
魂を抜かれてしまったゾンビ達へ送る、わたしの最弱な猫パンチでございます。
程なくして、やっと駅に着いた。
無事に生還した。
はぁー。疲れた。
そういえば、わたしはこの街へ来る途中、普段飲まない邪悪な飲み物を飲んでいた。
Monsterと言う名のエナジードリンク。
大好きな睡眠を諦める為に、ガツンと飲んだアレのせいで、思考がどんどん拡張し、視覚と聴覚が敏感で繊細になっていたようだ。
もしかしたら、ここまで書いた全ての話は、幻覚だったのかもしれない。
そう、みなさんもお忘れかもしれないが、一番最初に書いた文。
家事を残して、平気で誰よりも早く寝てしまうわたし。その事を怠惰だとも書いたが、本当はすごくやり遂げたいのにできないという、ギリギリの良心にすり替えた事。その上、普段は家族の誰よりも遅く起きているらしい。
そしてメインに書いた文章、まるで魔窟のような、始発前の街並みと人間達の様子。
…裏を返せば、3人の子持ち主婦が、遊び呆けて朝帰りという、みなさんの開いた口が塞がらないという状況。
そう全ては、あのドリンクのせいで見てしまった幻覚だったのだ。そうした方が全て丸く収まるじゃない?
これが本当の話なら大問題だ。誰も理解してくれないだろう。
ただ最期にひとつ。
そんな幻覚を見たわたしを、誰にも理解されない行動を平気でやってしまうわたしを、無条件で受け入れている「あなた」が存在しているという事。
これが今回書いた中で唯一の真実だ。
まぁ、幻だとか真実だとか…。この際どうでもいい。
どちらにしても「あなた」にとっては、堪ったもんじゃないのだろうから。
:Halu