西日本を襲った豪雨での私的な出来事


女性

先週末に起きた、広範囲にわたる水害。わたしの故郷は岡山で、大きな被害のあったところです。幸いなことに、実家や親戚に被害はありませんでした。

平成30年7月豪雨

わたしは結婚で岡山を離れ、和歌山に暮して13年になります。和歌山にも大雨が降り、道路が所々浸かり、交通の麻痺や、河川の決壊や浸水の恐れにさらされました。

今回の災害はご存知の通り、西日本で広範囲にわたる被害をもたらしました。

大雨が過ぎ去った現在も、二次災害の危険がありまだまだ予断を許しません。

そして炎天下の中、慣れない避難所生活、終わりの見えない後片付け、行方不明者の捜索、あらゆる物資の不足、ご家族を亡くされた方、体力のない老人や小さな子供、家族同然のペット、心身に障がいを持った方、外国の方等々、想像したらキリがないほど、今大変な思いをされている方が沢山いらっしゃいます。

さて、このように書きたいことは沢山あるのですが、わたしが今回経験した事を書きたいと思います。少し長くなりますが、読んで下さい。

 

7月5日木曜日夜

和歌山で今までにないくらいのひどい雨が降り続ける。Shakaちゃんは寝ずに一晩中起きて過ごす。

わたしも眠れず、何かあればすぐに浸水すると言っていた岡山の友達に、なんとなく深夜LINEするも、すぐに返信はなし。一晩中サイレンの音が鳴り響く。

7月6日金曜日

Shakaちゃんは一睡もしていない。わたしは4時頃目が覚めた。あまり寝ていない。

我が家は高いとこにある為なんの被害もなかったが、すぐ近所はすでに水に浸かっている。とても小規模であるが土砂崩れしている場所もあり。近所の施設に避難所も設置された。通勤路が通行止めとなり、わたしは仕事を休んだ。

深夜にLINEした岡山の友達からも、大丈夫だと連絡が来た。和歌山の状況をやり取りする。

あちこち浸水していたが、夕方にはだいたい落ち着いた。

それからShakaちゃんと岡山もやばいんじゃないか?という話になり、岡山の両親に電話。

うちは高いところにあるから大丈夫だと、安全を確認する。

それと、山の斜面に一人で住んでる、田舎の祖母が心配だと言うと、さっき電話したら元気だったと返事。

いったん電話を切るも再び電話して、どうにかならないかと何度も頼んでみる。

「崖崩れになって、おばあちゃん死んだらどうするん??」とキツめに言ったが、わたしの期待する返事は返ってこなかった。

それから色々こちらからも手を尽くしたが、どうにもならず、わたしは諦めてしまった。

7月7日土曜日七夕

翌朝、両親に電話。両親・祖母・親戚の無事を確認。「雨は凄かったけど大丈夫よー。下にある畑も見に行ったけど大丈夫じゃから、野菜送るわ。」と呑気な返事に、わたしも安堵する。

がしかし、両親のテンションとは裏腹に、テレビでは豪雨の天気図と警報や避難勧告。肝心な映像が流れない。友達が心配になってくる。

SNSを覗いてみると、なんかやばそう。

悩んで悩んで、心配で心配で思い切って、数人の友達に昼過ぎにLINEしたら、浸水した写真が送られてくる。信じられない。慣れ親しんだ景色が全く別物になっていた。

生きてるよとの報告に安心するが、かなりひどい被害を受けている模様。怖いとも。

ちなみに、一番最初に連絡した、すぐに浸かると言っていた友達は、全く問題なかった。

そこから、ずっとSNSで被害を追っかける。

そうこうしていたら、夕方ごろに父から電話が入る。「Haluおまえ、知っとるか??おまえの友達住んどるとこ、えらい事になっとるで。」と、やっと切羽詰まった声でかかってきた。

 

以上わたしが今回体験した出来事です。

決してうちの両親が呑気なのではなくて、多分これがよくある反応なのかな?とも思います。

それに両親はインターネットの環境がありません。なのでリアルな状況が掴めないようでした。

それに岡山は、『晴れの国』と言われていて、災害が少ないとされており、3.11以降移住している人も多くいると聞きます。わたしも、まさか故郷でこんなことが起こるなんて思いもしませんでした。

不幸中の幸いで、わたしの身近に命を落とした人はいなかったのですが、もし今ある現実が違っていたとしたら…。

まだまだ他にも思う事は沢山ありますが、この一連の出来事をシェアしたいと思い書きました。

 

どこかの誰かの何かの為に少しでもなりますように。

 

:Halu


2018-07-10 | Posted in ThinkingComments Closed 

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