メメント・モリ 死を想え
今年に入ってから、次々と訃報が飛び込んでくる。
わたしの38年間の人生の中で、こんなに重なることは今までに無かった。
それだけでなく、「実は〇〇が癌になっちゃって」っていう告白やお知らせも、相次いだ。〇〇は本人だったり、その家族だったりするのだけど。
つい先日も、Shakaちゃんの生き方に大きく影響を与えた方が、亡くなった。
わたしは数回しか会ったことは無かったのだけど、とても印象に残っている。
なんせ見た目のインパクトが強かった。丸い小さなサングラスをかけて、タイダイのド派手なTシャツを着ている。
360度どっから眺めても、怪しい(笑)
だけどそんな見た目とは裏腹に?!、肩の力は抜けてて、いい感じにゆるくて、遊びの天才で、童心を忘れていない。
初対面のとき、わたしにはミサンガを、子どもたち三人にそれぞれ水鉄砲をくれた。
当時幼かった子どもたちにも、その時の記憶が今でも鮮明に残っている。
そのくらい放つオーラが非凡だったのだ。
そんな彼の営んでいたお店や、主催するイベントには、その人柄とこだわりが全面に溢れ出ていた。
めちゃくちゃ楽しくてかっこよかった。
そしてお葬式も、これまたすごかった。
- 服装は喪服じゃなくて、それぞれの思う装いで
- 御香典はお断りだけど、餞別ならオッケイ(笑)
- 祭壇の仏花は“真っ赤な薔薇”
- お経なし、お坊さんも来ません
- そのかわり曲流します、歌や楽器やってください
- 踊って笑おう!!
ていう案内だった。
わたし達夫婦は、持ってる洋服の中でも一番派手な色を選び、ばっちりめかしこみ、花屋を3件周りやっと真っ赤な薔薇を手に入れ、彼の元へ急いだ。
家から約二時間、高速とばして会場へ着くと、エントランスには沢山の人がはみ出ていた。
わたしは薔薇を手向けようと、人をかき分けて会場へ入るも、またさらにすごい人。
なんとか祭壇にたどり着くと、故人がこれまた大量の真赤な薔薇に埋もれて窒息寸前。(ってもう既に亡くなっているのだけど(笑))
埋もれすぎててShakaちゃんは、そこにいることに気づかず、危うく最後のお別れを言いそびれるところだった。
もうこれは、お葬式っていうより、結婚式か?はたまた同窓会じゃないか??
そこらじゅうでの会話が、終始そんな感じだった。
持ち寄りのお酒や食べ物、素敵に飾りつけられた会場、そして奥にはもちろんDJブース?!
わたしは以前にも、らしくないお葬式に出くわした事がある。
みんな普段着で、これから始めるセレモニーに少しワクワクしていたのかもしれない。
だって、ビールの栓がポンポン開いていた。
お坊さんはもちろんいなくて、お経の代わりにライブがはじまる。
男たちは、テーブルが足りないからと、そこらへんの適当な木材でドリル片手に一瞬で作り、女たちはご飯を炊き、山に入り祭壇を飾る植物を摘んでいた。
もちろんどことなく淋しさはあるのだけど、参列者の表情や場の雰囲気は、明るく和やかだ。
彼は、死してもなお、影響を与え続け、HAPPYのバイブスを放ち続ける。
生前、彼の主催するイベントに置いてあった、シャボン玉製造機のように、今度は彼がそれになって、幸せの泡玉を空に向かって、ぶわぁっと撒き散らす。
生前、彼の営むお店で買った、『Ticket To The Moon』と言う名のハンモック。“本物の月への切符”を手にした彼は、抱えきれない真っ赤な薔薇を手に、お空へ旅立った。
メメント・モリ。死を想え。
生と死は、反対で存在するのではなく、死は生の延長線上に必ずある。
もっと言えば、その線の端っこと端っこが、くるっと繋がって、輪っかになる。生と死は常にセットで、くるくるとその輪っかの上を、ポルカする。
わたしが昔よく行った、近所の本屋で初めて知った、『メメント・モリ』という言葉。
その言葉のリズムは、ポルカだ。
当時その言葉に全くピンとこなかったが、20年の時を経て、なんとなくイメージできる、最初の一歩を踏み出した。
メメント・モリと頭の中で唱えるたびに、早めの二拍子のポルカのリズムにのって、くるくるとダンスが始まる。
嬉しいのか楽しいのか…悲しいのか寂しいのか…
それはまだ、わたしの中で無表情に回り続ける。
:Halu