ニワトリの詩(うた)
秋晴れの穏やかな休日のある日、わたしは飼い主と海へサイクリングに出かけた。
あっ、まずはわたしの自己紹介をしておこう。
わたしは、ニワトリだ。
ニワトリは、いつも人が認識する朝の一歩手まえどころか、五歩手まえぐらいから朝を感じて喜びの雄叫びをあげる。
「コケコッコー!!」
飼い主はいつも、
「君はなぜそんな意味の分からないタイミングでいつも鳴くんだ。」
と言いながら、その口元はいつも緩んでいる。そして時々怒ってもいる。どうやらわたしはあなたの理解を超えるところで、笑ったり、怒ったり、泣いたり、踊ったりしているらしい。
それを飼い主は、いつも優しく見守っているし、逆に時々我慢できなくなる時もある様だ。でも大抵は、わたしに対して優しい…というよりも底抜けに甘い。
今日は、そんなわたしにデートへ行こうと誘ってきた。
わたしは鳥だがニワトリなので、空を飛べない。
だがこうして人間の言葉で、文章を書いている。最近、「海」が好きな人たちが集まるサイトで書き始めたものだから、近所の海へサイクリングへ行こうと言ってきた。飛べない事を知っているから、自転車に乗っていこうと誘ってくれた。飛べないわたしに、彼は無理を言わない。
わたしはニワトリだから、泳げない。
だけど海での水浴びは大好きだ。海との戯れは続けていると、海と一体になっていって、自分が溶けて消えて無くなっていく。自分と他の境目が曖昧になっていく。わたしの海が好きな理由はそんなところだ。
次にわたしと飼い主の関係に少し触れておこう。
彼とは、2004年の4月に出会った。場所は、ポルトガル語で「郷愁」とか「思慕」など深雑なニュアンスを持つ名のついたカフェだった。
そこで彼は、それまでわたしが見たことも聞いたこともない、不思議な音色が出る棒のような楽器を演奏していた。
彼の風貌は、スパイラルパーマのロン毛で前髪が長く目は隠れていて、どんな顔なのか全くわからない。タイダイのピースマークのプリントが施されたレディースサイズのTシャツを着ていて、身体からは白檀の香りがしていた。
そんなだからとにかく怪しかった。
だけど当時24歳のわたしにとって、それはキョーレツな出会いでもあったし、恋に落ちた瞬間でもあったのだ。
その瞬間から、飼い主とニワトリの関係はただならぬ関係だ。
だけどいつまでたっても、お互いを全く理解できない。そりゃそうだ。人間とニワトリの間柄はそう簡単には埋まらない。
だけど出会ってしまったが最後。わたしの決心はいつもあの出会いに支えられている。
それから幾つもの山を乗り越え、わたしは実際に幾つもの街を通り越し、海にほど近いこの場所で、飼い主と生活を始めて10年が過ぎた。
昼ごはんを簡単に済まし、わたしたちは海へ向かった。
ここで一つあなたに聞いてもらいたいことがある。
わたしの乗っている自転車と、彼の乗っている自転車の格差についてだ。
わたしが乗っているのは、人から貰ったお下がりの子供用の自転車だ。錆びてはいるが、わたしの愛車だ。ところが飼い主の自転車はおしゃれなミニベロで13万円もするらしい。ここに、飼い主とニワトリの格差が生じている。
いつもいつも、
「君も新しいの買いなよ〜。」
と呑気に言ってくる。
家計を握っているのはこのわたしだ。自身の経験から自転車は買うものじゃなく貰うものだと学んだ。
そんなわたしをよく知っている友達が、使わなくなった子供用自転車を、わたし達の子ども、ひよこ達のためにくれたのだ。
それがものすごく乗りやすかったから、いつの間にか親のニワトリが乗っている。
だけど、今日みたいに飼い主とのデートではいささか格好がつかない。それに普段は気にならないわたしとあなたの違いすぎる点が、どうにもこうにも気になってきて仕方がない。
だが、なんせわたし達の関係は、飼い主とニワトリ。住む世界が全く違う…。だから、まぁいいか。ほおっておこう。
だって、今も飼い主はわたしの後ろで、安全を見守りながら自転車を漕いでくれている。
海に着いた。磯の香りが鼻をこする。人気のない浜に腰を下ろした。飼い主からは、わたしとの会話を楽しみたいとする様子が伺える。
だけどこの浜には宝物がたくさんある。きれいな形をした貝、海に揉まれて角が取れたカラフルなシーグラス、どこからか流れ着いた流木。
わたしは、ご自慢の羽を砂まみれにしながら、ついついお宝を拾うのに夢中になり、デートをしに一緒に来たはずの飼い主の存在をすっかり忘れて、一人でウキウキ楽しくなってきて、
「コケコッコー!!」
と鳴いた。
しまった。またやってしまた。と思い後ろを振り返ると、飼い主は呆れるどころか、口はいつものように緩んでいる。
…やはり、彼はわたしに底抜けに甘い。
もうかすかに冬の気配がする海はさすがに寒い。わたしの自慢の羽も太刀打ちできない。冷えてきたなぁと思ったタイミングに、
「寒いから、カフェにでも入ろうか?」
と飼い主は言った。彼はいつもわたしのタイミングのちょうどいい所で、気の利いた優しい言葉をかけてくる。出会った時から全く変わらない。
海の直ぐ側で、わたしたちの友達が、週末だけオープンするカフェを営んでいる。
そのカフェの主は小鳥だ。彼女はいつも多くを語らない。だけど小鳥だけあって、時々話すその声はとても穏やかで耳に柔らかい。サ行の研究という謎の実験を繰り返し、日々を細やかに丁寧に過ごしている。
小鳥のカフェは、平日野口整体もやっているので、店舗の一角に畳のスペースがあり、天井から薄いベールを垂らした素敵な空間がある。
優しいさえずりと、感度の良いくちばしと、ゴツゴツした足なんだか手なんだかどっちか分からないけど、とにかく小鳥の全身を使ってお客を癒やしている。
夜とも朝とも区別のつかない時間から、けたたましく雄叫びをあげるニワトリのわたしとは何もかも正反対だ。
そんな彼女が作る酵素ジュースを飲んだ。ジュースに使っている果物も、彼女が思考しながら、くちばしで傷つけないよう大切に厳選し摘んできたものらしい。
まだ身体が冷えていたので、わざと氷を抜いてもらったジュースを口に含んだ瞬間、そんな小鳥のバイブレーションがじんわりと身体に広がっていく。
いつも早口でせわしないニワトリのわたしが、小鳥の彼女が大切に抽出した甘美なエッセンスによって、ゆっくりと中和される。キュッと縮こまったわたしの身体は、どこまでもだらしなく形が立体から平面になりびろーんと伸びていく。
わたしの身体と、その周りに広がる空間との境目が、薄くぼんやりとしてくる。彼女の創る心地よい空間と一体になり、わたしは溶けて消えて無くなりそうだ。
「ねぇねぇ飼い主、まどろむね〜。」
相変わらず彼の口元は緩んでいる。
「じゃあ、そろそろ戻ろうか?ひよこたちがお腹を空かして待っているよ。」
あれ?!いつもはタイミングの良い飼い主なのに、今回はちと早いんじゃないのか?!
こういう場合いつものわたしなら「コケコッコー、まだ帰りたくない!!」と叫ぶ。でも今のわたしは小鳥のお陰ですっかり和んでいる。
それに、わたしは知っている。彼はひよこたちの事となると、冷静さを失うのだ。だからここは彼の言うことに黙って従っておこう。
「また海へのデート誘ってね。」
帰り道、どうしても気になって、飼い主と自転車の交換してみた。何なんだ?素晴らしく乗り心地が良いじゃないか?
「わたしも、新しい自転車買おうかな〜?」
後ろを振り返ると、小さい錆びついた子ども用自転車にまたがる足の長い飼い主が、乗りにくそうに口を歪めながら自転車を必死に漕いでいた。
こんな日にはいつも思う。
一度きりのわたしの人生。
彼と出会えてよかった。相容れない人とニワトリ…一人と一羽の個性はそのままに、全く違う乗り物に乗っているからこそ、見ることの出来る景色があるんじゃないかと。
そこには多少の苦労があるかもしれないが、悪くはない。共に手を繋いで紡ぐ、何の変哲もない普通の日常の連続。そして当たり前だが、それも永遠には続かない。
そんなことを言ってしまえば儚いが、くっきりとその軌跡は残っていくはずだ。
だからわたしはこの先も書き続けるだろう。
ニワトリの詩(うた)を…
「Halu〜、もう無理ーーー。」
そろそろShakaちゃんの限界が来たようだ。仕方なく自転車を元に戻した。
「わたしは、やっぱりこの自転車がいいわ!!」
お腹が空いたとピーピー鳴いているだろうあの子たちの待つ我が家へと急ぐ。
秋晴れの穏やかなとある休日のお話。